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松竹梅

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松竹梅の歴史

最高級酒“松竹梅” 昭和のはじめ最高級酒とよばれた清酒“松竹梅”の歴史

京都・伏見で酒造業を始める

1842(天保13)年

1842(天保13)年、京都・伏見の竹中町で四方(よも)家が清酒の製造・販売権利である酒造株の譲渡を受け、伏見酒造家の仲間入りを果たしました。これが宝酒造の原点です。清酒造りからスタートしました。

“松竹梅”商標登録

1920(大正9)年

灘の酒造家・井上信次郎が酒銘に“松竹梅”と名づけたのは1920(大正9)年。当時は濃厚酒として珍重され、盃に盛り上がるトロリとした喉越しと陶然とした爽やかな酔いが評判でした。一部の好事家から「天下の美酒」と謳われたほどでした。

松竹梅酒造設立

1933(昭和8)年

1933年(昭和8年)、宝酒造の傘下として松竹梅酒造を設立。”松竹梅“の販売強化に乗り出しました。その後、生産量は年を追う毎に増大していきました。

最高級酒“松竹梅”

1930年代

松竹梅酒造は、“松竹梅”の品質イメージの向上と、販路の開拓に取り組みました。壜詰めのほか、樽詰め、壺詰め容器でも売り出し、最高級酒として1本(2L)5円で発売致しました。当時は並みの清酒で一升(1.8リットル)1円30 銭、灘の上物でも2円50銭、タクシーが「円タク」と呼ばれて東京市内どこまで走っても1 円だった時代です。全国主要都市数十カ所に酒場「松竹梅の酒蔵」を開設すると、1 杯45 銭で“松竹梅”が味わえると人気を集めました。ちなみに清酒酒場を指す「酒蔵」という言葉は、ここから誕生したとされています。

慶祝(よろこび)路線スタート

1970年代

清酒の需要は1960年代に入ると拡大基調となり、ブランド競争の時代に突入しました。“松竹梅”の慶祝イメージを活かしたブランド再確立を目指し、1970(昭和45)年、映画俳優の石原裕次郎を広告宣伝に起用、1972(昭和47)年からは「慶祝(よろこび)路線」をスタートさせました。1988年(昭和63年)には新たな顔として渡哲也を迎え、「慶祝(よろこび)路線」をさらに強化。慶祝贈答市場で確固たる地位を築きました。

清酒二極化市場に対応

2001(平成13)年~

1990年代以降、清酒市場は吟醸酒などの特定名称酒と紙パックを中心とする経済酒に大きく二極化しました。阪神・淡路大震災で被災した灘工場を、2001(平成13)年、「松竹梅白壁蔵」としてリニューアル。手造りの原理を再現した新しい設備での酒造りと人の手で行う酒造りの両方を併せもつ蔵として高品質ニーズに対応しています。一方で2003(平成15)年、新たに開発した「コクとキレ」を生む「二段酵母仕込」による松竹梅「天」を発売。確かな品質とお求めやすい価格設定で経済酒に新たな風を巻き起こしました。

スパークリング清酒「澪」誕生

2011(平成23)年

日本酒に馴染みの薄いライトユーザーにも受け入れてもらえる商品づくりをテーマに、試行錯誤の末、独自の製造技術を確立。松竹梅白壁蔵「澪」を発売し、スパークリング清酒という新しい市場を創造しました。