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タカラcanチューハイ

パッケージデザイン

世界的なグラフィックデザイナー“松永 真(まつながしん)”氏によるデザイン。1984年の発売当時から一貫して同氏が制作に携わる、シンプルかつ普遍性を追求したパッケージ。

〈松永真プロフィール〉

1940年東京生まれ。
国内外のポスター、企業CI計画を始め、数々のヒット商品のパッケージデザインなど、グラフィックデザインを主軸に、広範囲なクリエイティブ活動を行う。
氏の手掛けた数々のデザインは世界88カ所の美術館などに永久保存されている。
「タカラcanチューハイ」のパッケージデザインでは1987年「毎日デザイン賞1987」毎日デザイン賞を受賞。
発売30年を迎える2013年には「グッドデザイン・ロングライフデザイン賞」を受賞。
また、ドイツ「ディ・ノイエ・ザムルング」やスイス「チューリッヒ造形美術館」などに発売当時の商品パッケージがコレクションされている。

パッケージデザインヒストリー

■1984年
“日本初の缶入りチューハイ”として1984年1月に誕生。
〈レモン〉〈純ハイ〉〈プラム〉〈グレープフルーツ〉をラインアップし、缶チューハイのパイオニアとして、缶チューハイブームの火付け役に。 商品パッケージはドイツ「ディ・ノイエ・ザムルング」、スイス「チューリッヒ造形美術館」にコレクションされています。誕生ヒストリー

■1987年
現在の形状と同じ、缶上部の口径を絞った4段ネック缶に変更。

■1999年
若い世代にアピールするため、丸みを帯びた柔らかく親しみのあるロゴにリニューアル。

■2003年・2013年
原点回帰として、2003年にロゴを発売当時のものに戻しました。2013年にはロングセラーであることが評価され、グッドデザイン「ロングライフデザイン賞」を受賞。

■2016年
「PREMIUM」ワードとともに、上質感を演出するデザインにリニューアル。

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パッケージデザイン

世界的なグラフィックデザイナー“松永 真(まつなが しん)”氏によるデザイン。
1984年の発売当時から一貫して同氏が制作に携わる、シンプルかつ普遍性を追求したパッケージ。

<松永 真プロフィール>

1940年東京生まれ。
国内外のポスター、企業のCI計画を始め、数々のヒット商品のパッケージデザインなど、グラフィックデザインを主軸に、広範囲なクリエイティブ活動を行う。
氏の手掛けた数々のデザインは世界88カ所の美術館などに永久保存されている。
「タカラcanチューハイ」のパッケージデザインでは1987年「毎日デザイン賞1987」毎日デザイン賞を受賞。
発売30年を迎える2013年には「グッドデザイン・ロングライフデザイン賞」を受賞。

また、ドイツ「ディ・ノイエ・ザムルング」やスイス「チューリッヒ造形美術館」などに発売当時の商品パッケージがコレクションされている。

パッケージデザインヒストリー

■1984年

“日本初の缶入りチューハイ”として1984年1月に誕生。
〈レモン〉〈純ハイ〉〈プラム〉〈グレープフルーツ〉をラインアップし、缶チューハイのパイオニアとして、缶チューハイブームの火付け役に。

商品パッケージはドイツ「ディ・ノイエ・ザムルング」、スイス「チューリッヒ造形美術館」にコレクションされています。

誕生ヒストリー

■1987年

現在の形状と同じ、缶上部の口径を絞った4段ネック缶に変更。

■1999年

若い世代にアピールするため、丸みを帯びた柔らかく親しみのあるロゴにリニューアル。

■2003年・2013年

原点回帰として、2003年にロゴを発売当時のものに戻しました。
2013年にはロングセラーであることが評価され、グッドデザイン「ロングライフデザイン賞」を受賞。

LONG LIFE DESIGN 2013

■2016年

「PREMIUM」ワードとともに、上質感を演出するデザインにリニューアル。

誕生ヒストリー

タカラcanチューハイ 誕生ストーリー

日本初の缶入りチューハイ「タ力ラcanチューハイ」の開発に関係した多くの人は、一番の成功要因を「容器を缶にしたこと」と振り返る。
しかしそれは当時の宝酒造にとって挑戦であり冒険でもあった。

1983年 「缶入りチューハイ商品化プロジェクト」スタート

「缶入りチューハイ」の企画が、正式に議論の俎上に載せられたのは1982(昭和57)年の末、翌期の事業計画を提案する場でのことだった。
前年頃から首都圏を中心にチューハイブームの兆しがあり、宝焼酎「純」の売上も、驚異的な伸びを示していたからだ。
しかし、当時宝酒造には缶の充てんラインはなく、新設するとなれば多額の設備投資が必要となるため、慎重を期し、提案を「継続検討」とした。
ところが年が明けると、チューハイ人気はますます高まりを見せ、ならば挑戦してみる価値はあると1983(昭和58)年1月、ついに「缶入りチューハイ商品化プロジェクト」がスタートした。

めざす味を求めて

商品化にあたって何より大切なのは、言うまでもなくチューハイの味を決定する作業だった。
参考になる味を求めて、東京では上野や新宿、大阪ならキタ、ミナミ。
めぼしい店には足繁く通って、何度も味を確かめた。こうして多種多様なチューハイを味わうなかで、計画に携わるスタッフがこぞって「この味なら」と思えるチューハイに出会った。フレーバーはレモンのみを使ったシンプルな味だが、すっきりと飲みやすく、後味も抜群にいい。そして何より皆を喜ばせたのは、ベースの焼酎に「純」が使われていたことだった。
やっぱり「純」はうまいんだ。ならば缶チューハイも必ずいける一。
さらに研究を進め、試作を繰り返した末、ついに商品の“原型"を完成させた。

シンプルで斬新なパッケージ

商品設計と並行して、マーケティング計画も着々と進行していた。
まず決定したのは、商品のネーミングだ。多種多様なアイデアの中から絞り込まれたのは「純ハイ」と「タ力ラ缶チューハイ」の2案。
結局ストレートに商品を表した「タ力ラ缶チューハイ」に軍配が上がったが、メインターゲットである若年層を意識し「缶」から「can」とアルファベット表記することになった。
パッケージデザインも、独特の光沢を出すため苦心を重ねた結果、会心の作が完成した。メタリックなシルバーの地に黒、黄、ピンク、グリーンの各色で「Can CHU-HI」と記されたタイポグラフィーは、シンプルながら斬新で、インパクトも強烈。誰もが「これだ!」と感じる仕上がりだった。

初めての缶ライン

1983(昭和58)年10月、いよいよ「タカラcanチューハイ」の試験製造が始まった。松戸工場に新設された生産設備は、最新鋭缶ライン。
当時、1分間に400本余りという処理能力は、壜ラインを見慣れた目には、戸惑いを覚えるほど速く映った。
しかも缶と壜では、工程管理の方法も大きく違う。
缶ラインのノウハウがない現場は苦労また苦労の連続だった。
こうした努力が実り、生産がようやく軌道に乗ったのは、1983(昭和58)年の暮れも押し迫った頃。発売日は1ヶ月後に迫っていた。

1984年 誕生

そして迎えた1984(昭和59)年1月。24日の発売日に先立ち、11日に東京で新製品発表会が開催された。新製品を覆っていた白い力一テンがするすると開かれ、「タカラcanチューハイ」が初めて人々の前にその姿を現した。
翌12日、支店から京都本社へ、電話は鳴り続けた。
「売れている!注文殺到!」一。
「タカラcanチューハイ」は、1年間にわたる苦闘を大きな糧として、これ以上ないスタートを切った。

現在 そしてこれからも

日本初の缶入りチューハイとして登場した「タ力ラcanチューハイ」。
発売以来こだわり続ける品質で、これからも長く愛される商品としてあり続けます。